ノーベル賞 日本


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過去のノーベル賞と日本

ノーベル賞の自然科学分野における受賞者は、比較的近年までは、欧米の研究者を中心としていました。
1920年代に日本人の山極勝三郎がノミネートされた際に、選考委員会で「東洋人にはノーベル賞は早すぎる」との発言があったことが言われています。
欧米以外の国で研究活動を行った非欧米人では、1930年にインド人のチャンドラセカール・ラマンが物理学賞を受賞したのが最初です。
日本人では湯川秀樹が1949年に物理学賞で初めて受賞するまではありませんでした。

日本人としては、第1回から北里柴三郎や野口英世などが候補としてエントリーされていましたが、受賞はしてません。
北里柴三郎は、共同研究者であったベーリングが受賞したにも関わらず、抗毒素という研究内容を主導していた北里が受賞されませんでした。
また、山極勝三郎と市川厚一は、ウサギの耳にコールタールを塗布し続け、1915年に世界初の人工癌発生に成功しましたが、1926年のノーベル賞は癌・寄生虫起源説のヨハネス・フィビゲルに授与されました。
世界初のビタミンB1単離に成功した鈴木梅太郎は、ドイツ語への翻訳で「世界初」が誤って記されなかったため注目されず、1929年のノーベル賞を逃したといわれています。
また、1970年に大澤映二・豊橋技術科学大学教授はフラーレンの存在を理論的に予言したものの、英語論文にせず邦文でのみ発表したため、1996年のノーベル賞を逃したとその推移が当時の雑誌にも掲載されました。
1998年、スーパーカミオカンデでニュートリノ振動を確認し、ニュートリノの質量がゼロでないことを世界で初めて示した戸塚洋二も有力なノーベル賞候補と目されていましたが、2008年に死去しました。
日本人の受賞確率が低くなっていた要因として、一次選考でノーベル委員会が研究者や過去受賞者に呼びかける推薦状の返信率が、他国と比べて非常に低いことがあったとノーベル委員会委員が来日した際、指摘されたことがありました。

現在では、日本人の受賞者も多くなりました。

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